名前は大切。
地元紙、河北新報にこんな記事が。
仙台市が取り組む「歴史的町名復活検討事業」をめぐり、藩制時代の旧町名を忠実に再現すると、仙台市役所の住所が三つの町名にまたがる可能性がでてきた。仙台藩祖・伊達政宗の屋敷割りが通りごとに細かく区分されているためだ。最大で約69万人が対象となり、約600カ所の住所が変わる一大事業だが、表記変更にはコストが掛かるため、必要性を疑問視する声もある。梅原克彦市長が打ち出した構想だけに、「本丸」の市役所がどう決着をつけるのかに注目が集まっている。
河北新報より
自分の生まれた所は、花見で有名な西公園から見下ろした広瀬川の対岸にある、川内明神横丁という名前のところだ。この住所の名前は下町っぽくて(実際下町みたいなこちゃこちゃしいてる所だけれど)を僕は大変気に入っている。
他にも、二十人町、鍛冶町なんて名前が今も使われていて、とても風情があると僕は思っている。
昨日書いた、山本周五郎の「樅ノ木は残った」にも仙台の町名がちらちらと出てきて「あぁ、あの辺なのか。」と察しがつくのが面白かったりする。
ともかく昔の名前はとても味があって良いと思うので、僕は昔の名前に戻すのは賛成なのだけれどなぁ。
ちなみに「樅ノ木は残った」の主人公は船岡(仙台の南の地名の領主)でした。
写真はコーヒー豆を挽くための石臼。
美味しいんだ、これが。